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脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか

脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか
脳AI融合の最前線
紺野大地・池谷裕二(講談社)



1年ちょっと前に読んだ本をまた読んでみた。脳科学と人工知能(AI)の最先端の研究を同時に知ることのできる便利な本だ。我々一般人にとってとても読みやすい。最近はOpenAIが開発したChatGPTというAIチャットボットが世界を席巻しているから,ふと以前読んだ本書のことを思い出し,再度読むことにした。

タイトルが端的だ。これは,BMI(ブレイン・マシン・インタフェース)を使って脳とAIを接続すると,未来の人類がどうなっていくかを予測した本だ。「そもそもAIとは?」「AI研究の歴史はどう進んでいったのか?」を説明した箇所がとても分かりやすかった。一から説明されている。

但し,本書は2021年12月に出版されたもので,ChatGPTが全世界を席巻する以前の書籍だから,ちょっとだけ古い。GPT3に言及されているから物凄く古い本という訳ではないが,一般に広く知られるようになったのはGPT3.5だから(現在ではGPT4も公開),ちょっとだけ情報が古い。あと,本書のAIに対する態度がとても楽観的なのは気のせいだろうか。GPT4の底力を目の当たりにする前の著者が書いた文章なのだから,当然かもしれない。それとも,AIに対して楽観的なのは日本全体の傾向なのだろうか。

一方,脳科学に関する解説は全然古さを感じない(ただ単に私が脳科学の最前線を知らないだけかもしれないけど)。「脳へ情報を書き込む」話や「脳に電極を埋め込む」話は先進的で興味深かったが,同時に,現時点で困難であることがよく分かった。

本書では,電気自動車会社テスラや航空宇宙メーカーSpaceXのCEOとして有名なイーロン・マスクが度々登場している。マスクらは,2016年にニューラリンクという企業を設立している。先ほど挙げた「脳に電極を埋め込む」話については,本書では主にニューラリンクの業績・発表を解説している。

本書はマスク氏を肯定的に評価しているが,ここにも出版が2021年だった影響(?)が出ている気がする。近年のマスク氏は,Twitterの買収や,ChatGPTへの対抗馬としてTruthGPTというAIチャットボットを開発したことなど,やや迷走しているように見える。私はもう1年以上前の世相なんか覚えていないが,きっと当時のマスク氏は全世界から喝采を浴びたカリスマだったんだろう。今でも実業家としてのカリスマは変わらないが,アンチが増えたことは否めない。

話を脳科学に戻そう。本書の中盤で筆者は「意識」について論じている。物質である脳がどうして意識を生み出すのか,AIにも意識が宿るのかといった問いに対して,「統合情報理論」というアプローチが紹介されている。統合情報理論とは,「豊富な情報を有し,かつそれらが統合されているとき,その対象物は意識を持つ」ことを出発点としている。例えば,大脳は非対称で複雑な神経細胞のネットワークによって構成されているため,大脳には意識が宿る。一方,小脳は他の器官と同様に小さな構成要素の繰り返しに過ぎないため,小脳には意識が宿らない。統合情報理論は生物の器官だけでなく機械に対しても適用できる。例えば,デジカメは小さな構成要素の繰り返しから成り立っているため意識が宿らないとされている。

ちなみに,統合情報理論について筆者は『意識はいつ生まれるのか』という書籍をおススメしている。意識というものは,心理学でも神経科学でも取り扱うのが厄介で難しい問題だから,そんな問題に真っ向から立ち向かっているらしいこの本を読んでみたいと思う。

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上彰・佐藤優(文春新書)

ジャーナリストの池上彰と,作家で元外務省主任分析官の佐藤優のコンビで書かれた本が何冊あるか知らないが,異様に多いと思う。ずっと前に『大世界史 現代を生きぬく最強の教科書』の書評を書いたが,もっと前に読んでいた本書『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』の書評をまだ書いていないことに今になって気づいた。…ということで書いてみる。ただ,ちゃんと読んだのが7年前だから,個人的に面白いと思った箇所だけを断片的に触れていこうと思う。



エボラ出血熱の背後に人口爆発あり(P45~48)

2014年頃,ギニアをはじめとする西アフリカでエボラ出血熱が大流行した。急性ウイルス性感染症であり,治療が遅れると致死率が8割から9割に上る。この感染症について池上・佐藤の二人はブラックなことを言っている。

P47~48
佐藤
怖いことに,ダン・ブラウンの『インフェルノ』(越前敏弥,角川書店)という小説が欧米で大ベストセラーになっているでしょう。あれは,結論から言えば「エボラ出血熱歓迎」という本なんです。要するに,人口は感染症によって調整するしかないんだ,ということを是認している。
池上
ウイルスによって人口問題が解決される,というわけですか。
佐藤
人類の三分の一が不妊になるウイルスをマッド・サイエンティストが開発して撒き散らす。WHOがはじめは止めていたのだけれども,最終的に「われわれの計画と一緒だ」とほくそ笑むところで終わる。このモチーフはダンテの『神曲』から取っているのですが,ああいうものが大衆小説として可能であることが示しているのは,人口爆発に対する白人たちの恐怖です。
ダン・ブラウンのなかにあるのは,いわば新マルサス主義で,人口爆発に対する恐れなのです。その対象の一つはアフリカであり,もう一つは中国です。
池上
中国でもエボラ出血熱が広がればいい,ということだとすれば,かなりブラックな話です。
佐藤
彼らにとっては,中国の一人っ子政策は大歓迎なのです。
実のところ,欧米が感染症問題になぜ本気で取り組まないのか。もっと本気で取り組んだら解決はできるのです。ジェネリック医薬品など,いくらだってつくれますから。それをやらないでいるところに,白人たちの恐怖が示されている。

…2014年の本だから,内容が結構古く感じられる。ただ,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が未だに流行している現在だからこそ,興味深い話でもある。アフリカや中国に対する白人たちの恐怖について著者たちは述べているが,新型コロナが最初に発生したのは中国だ。ただ,中国から全世界に感染拡大した結果,2022年5月時点の累積死亡者数は中国が他国よりもかなり低い数値を記録している。中国政府が多少嘘をついている可能性はあるが,それでも中国の死亡者が少ない。アメリカはすでに100万人以上が亡くなっている。あとGDPも,初めは中国が大幅に落ち込んだが,後から日米欧も落ち込み,先に中国のGDPが回復した。皮肉な話,コロナ禍によって中国人よりも白人の方が弱体化したと私は思う。皮肉な話という言い方も,ブラックというか不謹慎かもしれないが。



ウクライナの内部断絶(P88~92)
ウクライナの意味は「田舎」(P101~102)

本書は,2014年3月にロシアがウクライナのクリミア半島を併合したことにも触れている(ちなみに,本書は同年11月に出版された)。そして,2022年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始したわけだから,さっきの感染症話題同様に,この話題も現在と繋がっているのである。

P88
池上
ウクライナ紛争の本質を理解するには,ウクライナという地の歴史を知らねばなりません。
ウクライナは,もともと穀倉地帯として知られ,たびたび周辺の国々から攻撃されたり,占領されたり,という悲劇の歴史を重ねて来ました。

P101~102
佐藤
ロシアは十分広いのだから,ウクライナは緩衝地帯にしたほうが得策です。日本の報道ではこうした点はまったく触れられていませんので,日本人からすると,ともすれば,黒海に面して,ヨーロッパに近いウクライナのほうがロシアより文明的に見えるかもしれません。
しかし,ロシア人の感覚としては,モスクワを中心として,西へ行けば行くほど貧しくなる。とくに西ウクライナは山岳地帯で,中央ウクライナと比べても収入は六割くらい。ウクライナの西側に対する憧れなど皆無,「貧乏なところ」という印象があるだけです。そしてロシア人は,貧乏な人を基本的に尊敬しません。貧乏な連中と一緒にやりたいとは思わない。ウクライナをどうして軽く見るのかというと,貧乏だからです。
池上
そもそも「ウクライナ」というのは,ロシアから見て「田舎」とか「地方」とかいう意味です。長年そう呼ばれているうちに,そのまま国名になってしまったともいわれています。

…ウクライナの由来について随分失礼な話が挙がっているが,実際に国名の由来について,「国」という意味である説と「辺境」という意味である説があるらしい。ロシア人たちは「地方」とか「辺境」とか思っているそうだ。あと,「底辺労働者としてのウクライナ人」という,これまた失礼な見出しの段落もあって,ヨーロッパでグローバル化の歪みが生じていることに触れている。

ずっと前に本書を読んでみて,そして現在また読んでみて勉強になったが,果たして著者たちはロシアがウクライナを侵攻する近未来が見えていたのだろうか。きっと,他の専門家同様に池上・佐藤も予想だにしなかったと,私は思う。何だか,ウクライナ侵攻以後の池上の書籍を読みたくなってきた。…ということで,そのうち読むと思う。

DeepLって凄そう

現在,『脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか』という,一般向けの分かりやすい脳科学の本を読んでいる最中である。その中でDeepL(ディープエル)という翻訳システムを初めて知った。Google翻訳を超えたシステムらしい。面白そうだったので,試しにずっと前にこのブログに書き込んだ私の文章をこのシステムで英語に翻訳させてみた。


「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」 ※2019年8月17日の記事

まずは日本文・・・
ここからは,私個人の意見を述べる。これまで,本書だけでなく数々の上皇陛下関連の書籍を読んでみて,私はある一つの考えを強くしていった。それは,誤解を恐れずに言うならば,「上皇陛下は,『植民地』としての沖縄に強い思いを抱いている」という考えだ。上皇陛下は,辛い戦争の歴史を背負っている沖縄に対して強い思いを抱き,沖縄を繰り返し訪問された。そんな陛下に対して「植民地」という言葉を使うことは無礼にあたるが,逆説的に陛下は「植民地」というものを意識されている気がするのだ。沖縄の戦没者に対する陛下の敬虔な態度によって,多くの沖縄県民が陛下を敬愛している。しかし,もし明仁という人物が存在していなかったら,本土復帰後の沖縄と本土との関係はどうなっていたのだろうか。翁長雄志が沖縄県知事に就任して以降(現在は玉城デニー知事),沖縄と安倍政権との関係は冷え切っているが,もし陛下の沖縄優遇がなかったら,両者の関係は取り返しがつかないところにまで行ってしまう可能性だってあり得たのだ。

次に英訳・・・
From this point on, I would like to express my personal opinion. After reading not only this book but also many other books related to His Majesty the Emperor, I have come to a strong conviction about one thing. That is, without fear of misunderstanding, the idea that "His Majesty the Emperor has strong feelings toward Okinawa as a 'colony. His Majesty the Emperor has strong feelings toward Okinawa, which bears a painful history of war, and has visited Okinawa repeatedly. It is impolite to use the word "colony" against such an Emperor, but paradoxically, I feel that His Majesty is aware of "colony". His Majesty's pious attitude toward the war dead in Okinawa has earned him the respect of many Okinawans. But what would have happened to the relationship between Okinawa and the mainland after the reversion of Okinawa to the mainland if Akihito had not existed? Relations between Okinawa and the Abe administration have cooled since the inauguration of Okinawa Governor Onaga Takeshi (now Tamaki Denny), but without His Majesty's favoritism toward Okinawa, relations between the two could have reached an irreversible point.


…英語力が無いと,この英訳がどのくらい正確かどうか正直分からない(笑)。でも,結構いい感じであることは何となく分かる。あと,この英訳を読んでみて,いかに自分の日本文が分かりにくいか,あとから時間差で気づいた。

せっかくだし,しばらくDeepLで遊んでみようと思う。実は「一般人」目線だとGoogle翻訳と本質的に違いは無いかもしれないが,何となくGoogle翻訳よりも凄そうだから,しばらく遊んでみよう…。

人間の建設

人間の建設
小林秀雄・岡潔(新潮文庫)



批評家(小林秀雄)と数学者(岡潔)の対談集。岡潔に興味を持って本書を手に取ったが,自分は数学を知らない。知らないからとりあえず岡潔について「日本を代表する数学者」とだけ言っておこうか。解析学で多大な業績をあげた偉人であるが,数学において「情緒」が大事だと述べた異色の数学者でもある。

情緒? 自然科学,数学なのに? よく分からない。

彼を初めて知った時,多変数解析函数論における数学的業績だけでなく,彼がたびたび述べた「数学の本質は,情緒の働き」という思想も私にとって大変難しく感じられた。岡潔に興味があっても避けてきたが,たまたま本屋でこの本を見つけて岡潔にチャレンジすることにした。



そもそも,『人間の建設』ってタイトルが変だ。建設ってどういうことだろう? 本書を4分の1ほど読んで,建設の意味がちょっとだけ分かった気がした。55ページから原爆や水爆を例に挙げ,岡は次のように述べている。

P55~56
「だいたい自然科学でいまできることと言ったら,一口に言えば破壊だけでして,科学が人類の福祉に役立つとよく言いますが,その最も大きな例は,進化論は別にして,たとえば人類の生命を細菌から守るというようなことでしょう。しかしそれも実際には破壊によってその病原菌を死滅させるのであって,建設しているのではない。私が子供のとき,葉緑素はまだつくれないと習ったのですが,多分いまでも葉緑素はつくれない,葉緑素がつくれなければ有機化合物は全然つくれないのです。一番簡単な有機化合物でさえつくれないようでは,建設ができるとは言えない。」

多分いまでも葉緑素はつくれない? 本当に? と思ってネット検索してみたら,一応研究は進んでいるがとても難しいらしい。未だに人類は科学でほとんど「建設」をしていないということは,何となく分かった。ただ,岡潔は結局何を言いたかったのか,そこがよく分からない。彼は次のようなことも述べているが,分かったような,分からないような感じである。

P57
「人間は自然を科学するやり方を覚えたのだから,その方法によって初めに人の心というものをもっと科学しなければいけなかった。」

また,岡は29ページあたりで数学研究の現状について憂慮している。ちなみに,小林と岡の対談は1965年までに行われたものらしいが,2021年現在の数学,そして自然科学の最前線はどうなっているのだろうか。



話題はガラッと変わるが,2人は美術についても語っている。岡潔はピカソをあまり評価していない。ピカソ,そして当時の現代美術について,岡は次のように述べている。

P15~18
「ピカソ自身は,無明を美だと思い違いしてかいているのだろうと思います。」
「ピカソの絵の間にながく立っていると,額から脂汗が出る感じです。」
「今の芸術家はいやな絵を押し切ってかいて,他の人にはかけないといって威張っている。」
「そうなんですよ。芸術はくたびれをなおすもので,くたびれさせるものではないのです。」

岡のピカソ評を読んで,そういえばゲーテも似たようなことを言っていたなあと思い出した。『ゲーテとの対話(上)』の中で,詩人について批判している。詳しくはリンク先の最後の方。



『人間の建設』の最後の方に,岡潔が戦前の神風特攻隊を肯定的に捉える場面があり,思わず小林秀雄が「あなた,そんなに日本主義ですか。」(139ページ)と驚いている。そんな小林に対して岡は「純粋の日本人です」と返している。きっと岡潔は単純な国家主義,軍国主義者ではないと思う。ただ,本書の中で彼はたびたび欧米を批判していて,そんな欧米と向き合うための日本主義なんだと思う。それでも神風を持ち上げるのは極論であり,しかも世界で活躍する数学者の口から出たものだから,どれほど小林秀雄が驚いたか想像に難くない。

岡潔の唱える欧米人の欠点は,「小我をもって自己と考える」ことである。

そもそも,小我とは仏教やインド哲学の用語で,個人的な小さな範囲に閉じこもった自我のことである。物凄く大雑把に言ってしまうと,「小我をもって自己と考える」ことは欧米の個人主義の一環である。彼は小我の話の後で,こう述べている。

P48~49
「いまの人類文化というものは,一口に言えば,内容は生存競争だと思います。生存競争が無いようである間は,人類時代とはいえない,獣類時代である。しかも獣類時代のうちで最も生存競争の熾烈な時代だと思います。ここからみずからを滅ぼさずにすんだら,人類時代の第一ページが始まると思います。たいていは滅んでしまうと思うのですけど」
「私,自然科学はろくなことをしていないと思いますが」

欧米が中心である世界の在り方を批判して,「情緒というものが大事」と岡潔が述べている(どうしても,私は「情緒」の部分が理解できない)。さて,先ほど話題にした,岡潔が神風特攻隊を肯定している箇所を詳しく紹介する。

P139
「私は日本人の長所の一つは,時勢に合わない話ですが,『神風』のごとく死ねることだと思います。あれができる民族でなければ,世界の滅亡を防ぎとめることができないとまで思うのです。あれは小我を去ればできる。小我を自分だと思っている限り決してできない。『神風』で死んだ若人たちの全部とは申しませんが,死を恐れない,死を見ること帰するがごとしという死に方で死んだと思います。欧米人にはできない。欧米人は小我を自分だとしか思えない。」

先ほどの「純粋な日本人です」の後,岡潔はこう述べている。

P140
「いま日本がすべきことは,からだを動かさず,じっと坐りこんで,目を開いて何もしないことだと思うのです。日本人がその役割をやらなければだれもやれない。これのできるのは,いざとなったら神風特攻隊のごとく死ねる民族だけです。そのために日本の民族が用意されている。」

ちなみに,満州事変(1931)の時に岡潔はフランス留学中だった。日本に対する非難が強く,岡はフランスで色々言われたらしい。さっきも書いたが,彼は単純な国家主義,軍国主義者ではないだろう。満州事変の時の話として,岡潔は以下のように言っていた。

P141~142
「いったい日本はどうなっていくのだろうと思いはじめた。それからあと日本は心配なほうへ心配なほうへと歩き続けて,いまなおそれをやめない。それがもう三十年あまり続いております。」

上記の言葉から,彼の脳内では日本の歴史が「戦前/戦後」に分かれていないことが明らかである。岡によると,日本民族は情緒の民族であるが,そういう面が弱くなってしまったから日本という国がおかしな方向に進んでいってしまった。戦前だけでなく戦後も…。独自思想としては面白いが,私自身が納得できるかどうかは別の話である。

カテゴリ編集

久しぶりに記事を,しかも立て続けに5日連続で書いてみた結果,記事のカテゴリ分けが適切でないことが分かった。
カテゴリをガラッと変えてみた。
不都合が生じたら,また変えるかも。